[p.0667]
志士清談
常陸柏原の砦お攻る時、浅野左京大夫幸長の従士丹羽山城先登たり、塹際にて敵に渡し合、鎗お以て搗僕し首お取んとする時、浅野左衛門が歩士走来て、此首お下され候は“、大恩たらんと雲、山城顧てよくこそ雲たれ、さらば所望お協んとて与へければ、其首お斬て持帰りて、左衛門に見せぬ、左衛門喜びて称之、鄙かりしは利お貪るの心、愚なりしば義お棄るの行、かの者弥功お大にし、名お高うせんとや思けん、山城に所望したるお隠し、却て己が取たる首お、山城奪んとしたるお防、之お奪れず抔雲広む、左衛門此お実なりと思て、山城お誹る、山城聞て大に怒りて、左衛門が陣小屋に往て、爾々の風説お聴けり、実なりやと雲へば、左衛門然り、実ならずやと雲、山城武士の家に生れたる者は、武士の法お知べし、其場の事は斯々なり、貴殿其首お見られぬ事は非じ、彼者歩士鎗お不持、面に必鎗創あらん、彼者が斬たる敵ならば、持ざる鎗創あるべきの理、千百に一もなし、不察之濫に彼者の偽お信じて、吾お誹らるヽは、贔負の私力、知慮の昧きか、朝鮮陣の時、牧司が守る所晋州の城お囲て攻之、牧司が二将赤鎧の者、日本人此お赤日と雲、黒鎧の者此お黒日と雲、驍勇当り難し、城に乗に及て、某一番たり、亀田大隅二番たり、貴殿三番たそ、貴殿家老勢に由て、三も亦一番の如し、某と亀田が武功は、衆人の視るべからず、何ぞ口舌お以て争んやと雲て、黙して今に至れり、貴殿原よりかヽる偽者たるが故、歩士の偽も亦糺されずやと、これお責ければ、左衛門が語塞て赤面す、