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雲室随筆
予〈○僧雲室〉常謂、君子は生れながらにして有し、学て君子には至るべからず、聖人も小人学道易使とのたまへ共、小人学道至君子とはのたまはず、犬塚唯助といふ者あり、〈○中略〉唯助其生質阿諛佞媚のものにて、松牌学職の時は、自ら門人と称し、膝下に屈し、其外勢ある人には頻りに阿諛しけり、聖堂振合改り、其身経事被申付しより、古旧おば捨て土の如くしける故、にくまざるものなかりき、又其後聖堂大に革り、浪人書生不残退塾被申付、両人も退塾しけるが、唯助は学職の時より、松平右京亮殿へ出入せし故、本郷辺に卜居し、右京亮殿家来と申居けり、又先達而雅楽頭殿屋敷お放逐せられしは、兄の罪故にて、其身罪なき故、年歷たればとて出入おゆるされ、折々参りける、松窓は雅楽頭殿甚御信仰にて、しば〳〵被参ける故、唯助も度々同席せしかば、松窓此頃咄されしに、人は時々変ずるもの也、此間姫路侯へ参りたりしに、唯助も参りたり、昔聖堂人塾せし時は、我が門人なりと自ら称して、叮嚀に師事せり、然るに此間逢し時は、甚不巽にて、朋友よりもあし様にあしらひ、甚敷非礼なりしと被咄けり、松窓は生質直なる人故、唯助変じたりと被思ども、本より阿諛佞媚、反覆表裏のものなり、井金峨あるとき被申し事あり、女、子読書費と、予此言お以て思ふに、聖人も、女子と小人おば畜難しとのたまへり、凱女子乎、小人読書費と雲んもかならん、彼が姓犬塚とは、名実相協といふべし、揺尾索食かな、