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細川頼之記
頼之、将軍〈○足利義満〉近習の人々、姦惡の人あつて、幼君の耳目おまよはし、傍輩の中おも言さまたげんことお恐れて、内法三箇条お作て在、是掛殿中、以諸人の為戒、
其掟雲
一御近習の人々、以賤姦心、仰に随んが為に、不善お以善なりと言上すること、大きなる曲事也、又為貪当座の賞、邪曲徒事お申し進ること、無道至極せり、於傍輩他お悪道に引入する族、於公儀大姦不忠の人也、隠謀の大罪に同ぜん物か、且は天下お乱すの端也、且は幼君の怨敵なり、何事か如之哉、可諫不諫猶尸位也、まして同ぜんおや、邪の徒事お進奉らんおや、堅可禁之、自今以後、如是の族あらば、早不依親疎、見聞次第に、侍所に可訴、是猶大忠也、其賞何ぞ浅からんや、並彼於姦人依軽重、任先代法、可被罰之事、〈○中略〉
右条々堅申定給ぬ、若違犯の輩於有之者、貴賤お不論、罪禍可順法者也、仍掟如件、
貞治七年二月二日 武蔵守判〈○中略〉
頼之姦佞お禁ぜられしかども、将軍の御前に猶姦佞の人たへず、是お一々禁ぜん事もなり難ければ、日お経て頼之案じ出し、佞坊と名付て、法師お六人同じ様に作り出て、上下お著せ、大小の二刀およこたへ、唐の頭巾お頂せて、其外異類異形に出立せ、随阿弥陀仏、〈○中略〉観阿弥陀仏と号し、将軍並諸国の大名集て、東お指して西かと問へば西と答へ、赤色おさして黒きかと問へば黒色と雲、追従お専として、事に不成虚語お巧み、顔おしかめ口おゆがめ、おどり舞狂ひて座の興お催しける、後には幼童の如く出立ぬれば、自然に童坊とぞ申ける、〈○中略〉武州一家と人々お始として、将軍の近習、諸国の人々、諸侍の和の過たる追従お雲しおば、侍童坊と笑ひければ、諸国皆如此申せしとにや、依之近習の人々、並に諸国の大名の姦佞追従、少は止にけり、