[p.0675]
平家物語

禿童事
いかなる賢王賢主の御まつりごと、摂政関白の御せいばいにも、世にあまされたるほどの、いたづらものなどの、かたはらにより合て、なにとなふそしりかたぶけ申事は、つねのならひなれども、このぜんもん〈○平清盛〉世ざかりのほどは、いさゝかゆるかせに申ものなし、そのゆへは入道相国のはかりごとに、十四五六のわらべお、三百人すぐつて、かみおかぶろにきりまはし、あかきひたたれおきせて、めしつかはれけるが、京中にみち〳〵て往反しけり、おのづから平家の御事、あしざまに申ものあれば、一人きゝ出さぬほどこそ有けれ、よたうにふれまはし、かの家にらんにうし、しざい、ざうぐおついぶくし、そのやつおからめて、六波羅殿へいてまいる、さればめに見、こゝうにしるといへども、ことばにあらはして申ものなし、六波羅殿のかぶろとだにいへば、道おすぐる馬車も、みなよぎてぞとおしける、禁門お出入すといへども、姓名おたづねらるゝにおよばず、京師の長吏これがためにめおそばむと見えけり、