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源平盛衰記

成親已下被召捕事西光法師お召取て、大庭に引居たり、相国〈○平清盛〉は素絹の衣お著、尻切はき、長念珠後手に取て、聖柄の刀さし、中門の縁に立て、西光法師お一時睨て嗔声にて、無雲甲斐下臘の、過分に成上、朝恩に誇る余、無誤天台座主奉流罪、剰入道お亡さんと申行ける条は、いかに、あら、希怪や、希怪や、凶、也、凶也、すははや山王之冥罰は蒙ぬるはと宣けり、西光は天性死生不知の不当仁にて、入道おはたと睨返して、西光全く謀叛の企お不存、此恥にあふ事運の窮にあり、但耳留事あり、侍程の者が、靭負尉にもなり、受領撿非違使に至らん事、何か過分なるべき、始たる事に非ず、去てかく宣、和入道は、いかに王孫とこそ名乗給へども、昔の事は見ねば知ず、御辺の父忠盛は、正しく殿上の交お嫌れし人ぞかし、其嫡子にておはせしかば、十四五までは叙爵おだにも不賜、しかも継母には値たり、難過かりければこそ、中御門藤中納言家成卿の、播磨守にておはせし時、受領の鞭お取、朝たに〓の直垂に、縄絃の足駄はきて通給しかば、京童部は、高平太とて咲しぞかし、其お恥しとや思給けん、扇にて顔お隠し、骨の中より鼻お出して、閑道お通給しかば、又童部が先お切て、高平太殿が扇にて鼻お挟たるぞやとて、後には鼻平太々々とこそいはれ給しか、去ども故刑部卿殿〈○平忠盛〉近江国水海船木の奥にて、海賊廿人お被搦進たりし勲功の賞に依て、保延の比かとよ、御辺十八歟十九歟にて、四位の兵衛佐に成給たりしこそ、人々としと申しが、其が今太政大臣に成たるおこそ、下臘の過分とは申べき、此条は争か諍給べきと、高声に門外まで聞えよと雲たりければ、入道余に腹お立て、為方なかりければ、縁の上にて三踊四躍々給ふ、猶腹お居兼て、大庭に飛下、西光が頬お蹴たり、蹈たりし給けれ共、西光は口は少も減ず、去て其は左は無りし事か、彼は有し事ぞかし、哀足手だにも安穏ならば、報答申してん下雲ければ、入道何如様にも謀叛の次第委く相尋て後、しや口割て誡よと宣ひければ、〈○下略〉