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続古事談
四/神社仏寺
此僧都〈○道昌〉水尾帝〈○清和〉の御持僧にて、広隆寺の別当なりける時、御薬ありて僧都おめして祈念せしむる時、僧都申様、大炊寺に霊験の薬師仏います、彼仏お広隆寺に安置して、こヽろみに奉祈らんと、すなはち宣旨おくだして、此仏お広隆寺に奉移、七日祈奉るに、玉体平安也、其後大炊寺の聖人、道昌僧都がもとにゆきて、御悩平愈し給ぬ、かの仏もとの如くかへしわたさるべしといふ、道昌あへてきかず、聖人なげきて寝食おふすれて鬱のあまりに、醍醐の聖宝僧正のもとにゆきていふやう、大炊寺の薬師仏、道昌ぬすみてかへさず、取力へさんとするに、力およばず、いかヾすべき、聖宝いふやう、いとやすき事也、すみやかにとりかへしてん、たヾし広隆寺四壁またくして、たやすくやぶりがたし、その日その時に、人夫千人お大極殿の辺にまうけて、我おまつべし、わがちからにて、などかとりかへさヾらむといふ、ひじり悦て帰て、人夫千人おやとひあつめて、その日になりて、大極殿の辺に儲て、僧正おまつに、たま〳〵出きていふやう、其薬師仏は、わづかに一〓手半也、一人してもとりてむ、千人の夫は、東大寺の大仏おぬすむべきなりと、あざけりければ、聖人不足言とて、やみにけり、