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太平記

楠出張天王寺事附隅田高橋並宇都宮事
楠が勢是に利お得て、三方より勝時お作て追懸る、〈○中略〉隻我先にと橋〈○渡部〉の危おも不雲、馳集りける間、人馬共に被推落て、水に溺るヽ者不知数、〈○中略〉而れば五千余騎の兵共、残少なに被打成て、這々京へぞ上りける、其翌日に何者か仕たりけん、六条河原に高札お立て、一首の歌おぞ書たりける、
渡部の水いか計早ければ高橋落て隅田流るらん、京童の僻なれば、此落書お歌に作て歌ひ、或は語博て笑ひける間、隅田高橋面目お失ひ、且くは出仕お逗め、虚病してぞ居たりける、両六波羅是お聞て、安からぬ事に被思ければ、重て寄せんと被議けり、其比京都余に無勢なりとて、関東より被上たる、宇都宮治部大輔お呼寄、評定有けるは、合戦の習ひ運に依て、雌雄替る事、古より無に非ず、然共今度南方の軍に負ぬる事、偏に将の計の拙に由れり、又士卒の億病なるが故也、天下の嘲哢口お塞ぐに所なし〈○中略〉と宣ひければ、〈○下略〉