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宇治拾遺物語

これも今はむかし、法輪院大僧正覚猶といふ人おはしけり、その甥に陸奥前司国俊、僧正のもとへ行て、まいりてこそ候へといはせければ、たゞいま見参すべし、そなたにしばしおはせとありければ、まちいたるに、二ときばかりまで、出あはねば、なまはらだゝしうおぼえて、出なんと思て、ともにぐしたるざうしきおよびければ、出きたるにくつもてこといひければ、もてきたるおはきて、出なんといふに、このざうしきがいふやう、僧正の御房の陸奥殿に申たれば、とうのれとあるぞ、其くるまいてことて、小御門よりいでんとおほせ候つれば、やうぞ候らんとて、うしかひのせたてまつりて候へば、またせ給へと申せ、ときのほどぞあらんずる、やがてかへりこんずとぞとて、はやうたてまつりて出、させ給候つるにては、かうてひと時にはすぎ候ぬらんといへば、わ雑色はふがくのやつかな、御くるまおかくめしのさぶらふはと、我にいひてこそかし申さめ、ふかくなりといへば、うちさしのきたる人にもおはしまさず、やがて御尻切たてまつりて、きと〳〵よく申たるぞとおほせごと候へば、ちからおよばず候はざりつるといひければ、陸奥のぜんじ帰のぼりて、いかにせんと思まはすに、僧正はさだまりたることにて、湯ぶねに藁おこま〴〵ときりて一はた入て、それがうへに筵おしきて、ありきまはりては、さうなくゆどのへ行て、はだかになりて、えさいかさいとりふすまといひて、ゆぶねにさくとのけざまにふすことおぞし給ける、陸奥前司よりてむしろおひきあげて見れば、まことにわらおこま〴〵ときり入たり、それおゆどのゝたれぬのおときおろして、このわらおみなとり入て、よくつゝみて、のそゆぶねに、ゆ桶おしたにとり入て、それがうへに囲碁盤おうら返しておきて、むしろおひきおほひて、さりげなくて、たれ布につゝみたるわらおば、大門のわきにかくしおきて、まちいたるほどに、二時あまりありて、僧正小門より帰おとしければ、ちがひて大門へいでゝ、かへりたるくるまよびよせて、車の尻にこのつゝみたるわらおいれて、いえへはやらかにやりておりて、このわらおうしのあちこちありきこうじたるにくはせよとて、うしかひ童にとらせつ、僧正はれいのことなれば、衣ぬぐほどもなく、れいのゆどのへいりて、えさいかさいとりふすまといひて、ゆぶねへおどりいりて、のけざまにゆくりもなくふしたるに、ごばんのあしのいかりさしあがりたるに、尻ほねおあらふつきて、としたかうなりたる人のしに入て、さしそりてふしたりけるが、そののちおとなかりければ、ちかうつかふ僧よりて見れば、目おかみに見つけて、しにいりてねたり、こはいかにといへど、いらへもせず、よりてかほに水ふきなどして、とばかりありてぞ、いきのしたにおろ〳〵いはれける、このたはふれいとはしたなかりけるにや、