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甲子夜話
二十
筧越前守は〈西丸新番頭〉滑稽人なり、一旧友人と洞座せしとき、一人畜馬お失ひて馬お求るが、とかく猫のやうなる馬〈その平穏なるお形容せる時俗の語也〉ありかね候と雲ふ、越前雲ふ、幸に我方に猫の如き馬ありと、一人頻に其馬譲りくれられと懇望す、越前約するに、明朝牽せて参すべしと雲、翌日馬来る、其人馬場に出て、猫の如きと雲しお恃み、何心もなく乗ると駆出し、縦横に馳廻り、小土手お踰へ立木に突当り、殆ど落んとせしお、口付の者取押へて漸に免れぬ、思の外のことなりしかば、その馬早々返しけり、後日に越前対話の折から、其人慍お含て雲には、曩日猫の如き馬と申さるヽにより、其心得なりしに、扠々思も依らぬことなりしと、其次第お述ければ、越前雲には、則夫故に猫の様なりとは申つれ、猫は常によくかけ廻り、柱お攀ぢ塀お踰へ屋根へも登る者なり、其馬よく似候と存候ひしが、屋根へ登らぬがよかりしとの答なれば、其人大にあきれて、笑たるまでなりしとなり、