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太平記
十二
兵部卿親王流刑事附驪姫事
抑高氏卿今までは随分有忠仁にて、有過分の僻不聞、依何事兵部卿親王〈○護良〉は、是程に御憤は深かりけるぞと根元お尋ぬれば、去年〈○元弘二年〉の五月に、官軍六波羅お責落したりし刻、殿法印の手の者共、京中の土蔵共お打破て、財宝共お運び取ける間、為鎮狼籍、足利殿の方より是お召捕て、二十余人六条河原に切ぞ被懸ける、其高札に、大塔宮の候人殿法印良忠が手の者共、於在々所々、尽強盗お致す間所誅也とぞ被書たりける、殿法印此事お聞て、不安事に被思ければ、様々の讒お構へ、方便お廻して、兵部卿親王にぞ被訴申ける、加様の事共重畳して、達上聞ければ、宮も憤り思召して、志貴に御座有し時より、高氏卿お討ばやと、連々に思召立けれ共、勅許無りしかば、無力黙止給けるが、尚讒口不止けるにや、内々以隠密儀お、諸国へ被成令旨お、兵おぞ被召ける、高氏卿此事お聞て、内々奉属継母准后、〈○後醍醐後冨藤原廉子〉被奏聞けるは、兵部卿親王為奉奪帝位、諸国の兵お召候也、其証拠分明に候とて、国々へ被成下処の令旨お取て、被備上覧けり、君大に逆鱗有て、此宮お可処流罪とて、中殿の御会に寄事、兵部卿親王おぞ被召ける、〈○下略〉