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明良洪範
二十
藤堂家二代目高次の世に、先年大坂夏御陣にて討死せし一門家老の子供、父の戦功の甲乙お雑談せしが、互に意地おたて、終に闘論になりぬ、其一方は藤堂新七、相手は藤堂仁右衛門なれば、総家中の士も二つに分れて、既に珍事に及んとす、援に藤堂采女といふ家司、初より何方へも不抱、中に立て勤めけるが、争論の事無異に治るべくも見えざれば、国家の大事お思慮し、同役其外頭取たる者お集めて相はかり、新七仁右衛門お招きける、各隔意の輩、両人の頭取お先に立て、采女方へ入来りぬ、少頃ありて亭主一同へ挨拶し、さて今日御銘々申請の儀、余の子細にあらず、何れも御亡父方の戦功お吟味より事起り、確執出来て、これに依て元よそ遣恨なき相組の中も不通に及び、其上家士共も私の事にて、主君高次の御身の上迄も危きに至るは、人臣たる者の所行にあるべきや、又各先祖並に亡父に対して、子たる者の志と雲ふべきや、然らば君に対しては大不忠、亡父へ対しては大不孝なり、かヽる不忠の者、いかんぞ其君の禄お食んや、各隻今切腹あるべし、某初より此事に少しも抱らずと雖も、此時宜に及んで、余所にはながめまじければ相伴申べし、夫々下知しければ、兼て用意せし短刀お三方に載て、銘々の前に置し時、采女又曰、各無益の争論より命お捨てらるヽは、誠に犬死とや雲ん、さらば忠孝の道に立返りて、双方一和し、向後忠義お立てられんとならば、隻今和談あるべし、また忠孝も顧ずして、我意お立んとの事ならば、某手本お仕るべしと、押肌脱てけり時に仁右衛門、新七に向て雲、誠に亭主の節義猶なり、某老年なれば、発言いたすなり、何れも和談あるまじきや、第一主君へ対し大不忠なるのみならず、我々は死しても家中の面々、大勢切腹なくては、騒動の初めなり、何れも如何思召やと申出しければ、新七も同じく道理に伏し、打解たる挨拶しければ、其余の一座一同に感伏して、亭主の忠臣お賞しけり、其上にて仁右衛門女お新七嫁に、此内談の席にて申合せけるとなり、誠に藤堂家の危難、旦たに及びけるお、采女が忠臣によりて、忽ち和談しけるは、戦場にての討死に、忠功百倍なりと申あへり、