[p.0730][p.0731]
熊襲は、くまそと雲ふ、原と大隅国囎唹郡より出たる地名にして、上古之お襲国(そのくに)と号し、其地方に住する種属お隼人と称す、隼人は、はやびと、又はいとと雲ひ、又狗人(いぬびと)とも雲ふ、彦火火出見尊の兄火闌降命の苗裔なりと称す、景行天皇十二年、熊襲始て反して辺境お侵す、天皇親征して之お平げ給ふ、尋で二十七年、熊襲再び反す、皇子日本武尊お遣して之お征せしむ、、仲哀天皇二年、熊襲復た反す、天皇親征し、事竟へずしら崩御し給ひしかば、九年皇后息長足姫尊、神教お奉じ、吉備臣の祖鴨別お遣はして、擊て熊襲お平げしむ、爾来復た反乱の事無く、子孫相承けて、朝廷に奉仕し、畿内及び近江、丹波、紀伊等の諸国に移住せしもの頗る多し、隼人の事は、尚ほ官位部隼人司篇に詳なるお以て、此篇には省略せるもの多し、又隼人舞の事は、楽舞部舞篇に載せたり、