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土蜘蛛は、一に国栖(くず)と雲ひ、又八掬脛(やつかはぎ)とも称す、上古各地に散在せし種属の名にして、其人と為り、体軀短小にして手足頗る長し是れ蓋し、土蜘蛛、八掬脛の名の由りて起る所以なりと雲ふ、而して其性、勇猛鷙悍にして膂力に富み、常に穴居して、屢〻良民お侵害せしかば、神武天皇以降、神功皇后の朝に至るまで、或は天皇親征し給ひ、或は皇子偏帥お遣して之お誅勠せしめ給ひし事、史に其跡お絶ざりき、
国栖は、くずと雲ふ、蓋し亦土蜘蛛の類にして、大和国栖、常陸国栖等の別あり、大和国栖は大和国吉野河上に居り、其性甚だ淳朴なり、神武天皇の朝、既に王化に服せしかば、天皇其始祖に、磐排別之子の名お賜ふ、応神天皇吉野に行幸の時、始て醴酒お献じ、歌曲お奏す、爾来常に朝貢お闕かず、且つ大嘗祭、及び、元日白馬等の諸節会の時、朝参して、御贄お献じ、歌曲お奏ししが、一条天皇の頃に至りては此事遂に廃替せり、常陸国栖は、其性極て狼戻にして、常に盗掠お事とし、皇化に服せざりしかば、朝廷屢〻兵お発して征討し、遂に之お誅鋤せしめ給ふ、事は諸国土蜘蛛条に載せたり、