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古事記伝
十八
吉野国巣昔より久(く)受と呼来れども、此記の例、若久受(くず)ならむには、国字は書くまじきお、此〈○神武〉にも軽島宮〈○応神〉段にも、又他の古書にも、皆国字お作るお思ふに、上代には久爾須(くにす)といひけむお、やゝ後に音便にて久受とはなれるなるべし、〈○註略〉されど正しく久爾須といへること物に見えねば、姑旧のまゝに、今も久受と訓り、さて今も吉野川に添て、南国栖(くず)村といふありて、其あたり七村お、総て国栖荘といふなり、万葉十〈十六丁〉に、国栖等之(くずともが)、春菜将採(はるなつむらむ)、司馬乃野(しばのぬ)之(の)雲々とよめり、