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北条五代記

嫠(やもめ)男とやもめ女うつたへの事
聞しはむかし、北条氏直時代、小田原において、毎月二度づゝ奉行衆関八州の掟お沙汰せらるゝ寄合人々、伊勢備中守、大和兵部少輔、小笠原播磨守、松田尾張守、同肥後守、山角上野守、同紀伊守、塀賀(はか)伯耆守、安藤豊前守、板部岡江雪入道等也、されば或日奉行衆寄合あり、かやうのさたおば聞おく事なりと、われ其場へ行かたはらに有て聞しに、様々のさたども有て後、上州吉村といふ里の百姓一人、かうべお棒にて打わられ、血ながれたる体たらくにて出る、あてひは女なり、男申けるは、それがしもやもめ、此女もやもめ、おなじ里近所に罷有候が、此比女の家へよる〳〵通ひ候所に、女又別の男と近付、われおばきらひ、盗人よと高くよばわり候ゆへ、あたりの者にはぢにげ候所に、村の者共出合追かけ、ぼうにてかうべお打わり候、われまつたく盗人にあらず、彼無実申かけたるいたづら女お、罪科におほせ付られ下さるべしといふ、女いはく、男と出あひ候事一度も候はず、夜中にわが家の戸おやぶり入候故、盗人よとよばわりたると返答す、いづれ理非わきまへがたし、盗人の男もふてきにして、少もおどろかず、色ことならず、耳目たゞしく有て、言葉のとどこほりなし、双方まことしく申ければ、奉行衆も理非お付がたくおぼしめす体にて、しばし是非の御さたなし、予が近所に老人有しがいはく、さいぜんおはりたる沙汰共は、出入様々の子細有て、我々浅知にはさらに分明に及ばざりしが、凡慮におよばぬ当意則妙の金言、めづらしき御沙汰共耳目おおどろかし感じたり、日本国はさておきぬ、異国においてさばきあまれる沙汰なり共、此奉行衆の成敗にもるゝ事有べからずとおもひつるに、此男女の沙汰はさせる子細もなし、あまし給へる体たらく、ふしんなりとつぶやきけり、然に奉行の中に、江雪入道〈氏直の右筆、宏お利口の者也、〉申けるは、やもめ男やもめ女の出あひめづらしき沙汰なり、それ貞永元年に記し置れたる御成敗式目に、他人妻お密懐する罪科の事、所領お半分めされ、出仕おやめらるべし、所帯なくんば遠流に処せらるべし、女も同罪と雲々、次に道路の辻において女お捕事、御家人においては、百け日出仕おやむべし、郎従以下に至ては、右大将家の御時の例にまかせ、片かたのびんはつお剃除すべしと雲々、扠又正応三年め比、鎌倉において法度おしるしたる文に、名主百姓等、他人の妻に密懐する事、訴人出来らば両方お召決し、証拠お尋ねあきらむべし、名主の過科三十貫文、百姓の過科五貫文、女の過科同前と雲々ていれば、御当代には、他人の妻に密懐する者死罪におこなはる、されば霜男やもめ女出あひの沙汰は、右大将家以後、代々公方の、法式にも記さず、昔もろこしに展季と雲者は、りうかけいがあざ名なり、此人やもめ男にて貪なり、となりにやもめ女有けるが、家お風雨に破られて、やもめ男に宿おかるに、すでにかしたり、時しも冬なりければ、女さむけなりとて、家お破りて焼火にしあたゝめ、夜るは衣おおほひてふところにいねさすれ共、懐嫁すべき心なし、扠又がんしゆくしと雲男やもめあり、又霜女宿おかれども、戸お閉ていれざりければ、女が雲、柳下恵がごとくに、宿おかさゞるやとなげく、顔叔子が雲、其人は誠にかたくして、宿おかしけれ共おかす事なし、われはかんにん成べからずとて、ついにかさず、むかしはかゝる律義者正直人も有けり、今の世は男女共に婬乱ふかふして、此道にまよへり、霜おとこ嫠女近所に有事なれば、男の申分さもやあらん、され共証拠なし、それお訟お聞者、其人お見るに、五聴と雲て、五つの品お周礼にのせられたり、一に雲詞聴、二に雲色聴、三に雲気聴、四に雲耳聴、五に雲目聴と雲々、かれらが諍論においては、詞色気耳目にても察しがたし、扠又女申分にも証跡なし、双方いづれ証拠お出すべしといへり、女雲、我三年以前男とはなれ、其年より何共しらざる腫物出来たり、ひそかに醤師に尋ねければ、是は開茸と名付、女の身に有病也と聞、是はいかなる因果にやとあさましく思ひて、養生おいたすといへ共、今に平愈せず、是ゆへ男の道はおもひもよらずといふ、男の雲、猶女の身に生物有といへ共、寝臥おば心やすくいたすといふ、女のいはく、身に出来物の事わざと虚言申たりと、大きに笑ふ、其時男色お変じ無言す、故に男は縄にかゝり、女は私宅に返されたり、盗人もよくはちんじけれ共、女の智恵には及びがたし、開茸のはかりごと案の外なりとかたれば、かたへなる人聞て、男女の問答まつたくわたくしの言葉にあらず、是天のいはする所なり、かくのごときの災難に、天のめぐみもなく、その理むなしくは、神明め本懐もいたづらに仏法の正理も有べからず、天の罪のがれがたしといへり、