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義経記

かゞみの宿にて吉次宿にがうとう入事
そも〳〵都ちかき所なれば、人目もつゝましくて、けいせいのはるかの末座に、しやなわう殿〈○源義経〉おなほしける、〈○中略〉その夜かゞみの宿にぶだうの事こそ有ける、その年は世中きゝんなりければ、出羽の国に聞ゆる、せんどうの大将に、ゆりの太郎と申ものと、越後の国に名おえたる、くびきのこほりの住人、ふぢさはの入道と申もの、二人かたらひ、しなのゝ国にこへて、さんのごんのかみの子息太郎、遠江国にかまの与一、するがの国におきつの十郎、上野にとよおかの源八、いげのものども、いづれも聞ゆるぬす人、むねとの者二十五人、そのせい七十人つれて、とうかいどうはすいびす、少よからん山家々々にいたりける、徳人あらばおひおとして、わかたう共に、けうあるさけのませてみやこに上り、夏もすぎ秋風たゝば、北国にかゝり、国へ下らんとて、やど〳〵山家山家におし入、おしとりてぞのぼりけり、その夜かゞみのしゆく長者の軒おならべてやどしける、ゆりの太郎、ふぢさはに申けるは、みやこに聞へたる吉次といふ金あき人、奥州へ下るとて、おほくのうり物おもち、こよひ長者のもとにやどりたり、いかゞ、すべきといひければ、ふぢさは入道じゆんふうにほおあげ、さほさしおしよせて、しやつがあきなひ物とりて、わかたう共にさけのませてとおれとて出たちける、くつきやうのあしがるども五六人、はらまききて、あぶらさしたるくるまだいまつ五六たひに火おつけて、天にさしあげければ、ほかはくらけれども、内は日中のやうにこしらへ、ゆりの太郎と、ふぢさは入道とは大将として、そのせい八人つれて出だち、〈○中略〉夜半ばかりに、長者のもとにうちいりたり、〈○下略〉