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窻の須佐美

伊予国松山〈松平隠岐守定直従四位侍従〉の城下の在町にや、夫婦の中に男子ありて、十三歳になりけるが、母の妹なるもの来りて、帰るさに、かの子もつれて在郷へ帰り、こゝに止宿すべきにてありけるが、暮方に及びて、かの連れ子帰るべきよしいひければ、伯母聞て、日も暮方になりぬ、一里余の道なれば、夜に入なん、下男は皆田へ出て今に帰らず、送遣すべきやうもなし、明朝とく帰やといへり子の雲やう、とまるべき心にてありしが、何とやらん俄に帰り度なりぬるあいだ、一人帰るべきとて、急ぎ帰りしが、よひ過に帰りつきて、家に向ひたれば、家内灯の火みち〳〵見えし程に窻より見れば、あらくましき男七八人、面お黒く塗りて、つどひ居たり、ふしぎにおもひ、露次より忍び入、うらの方のまどより見るに、母には竈(かまと)おおびだゞしくもやして、食お炊ぐ体なり、小声に呼ければ、母窻より、いかにぞやと雲に、唯今かへりけるに、いかなる事に候や、かわりたる体、ふしぎに候と問ふ、母ひそかに、暮過より盗人十人余り入こみて、父おば切殺し、下男は残らず搦置ければ、われに食炊きて出せとせむるまゝ、是非なくとゝのへ居るなり、盗人五六人は蔵へ往て有と語りければ、鉄砲に玉薬火縄そへて、ひそかに給れ、食お出す時、かれらが並よく一列にならぶやうに膳おすへたまへといふ、その如く膳おならべし程に、盗人等一列にならび、食なかば頃、窻より鉄砲おさし入、よくねらひてはなしけるに、五人お搏倒しぬ、残りのものおどろきさわぎ、遁げちりけれども、五人の死骸おもつて吟味ありければ、こと〴〵くさがし出され、国君より刑罰せられ、その子は士となして逅はれけるとぞ、松山より出たる九十余の男が、むかし物語りにしける、おもふに延宝年中の事やらん、