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今昔物語
二十八
豊後講師謀従鎮西上語第十五
今昔、豊後の講師 と雲ふ僧有けり、講師に成て国に下て有けるに、任畢にければ亦任おも延べむと思、可然財共船に取積て京へ上けるに、相知れる者共の雲ける様、近来海には海賊多かなり、共に可然兵士も不具て、物おば多船に取り積て上り給ふは糸心幼き事也、尚可然からむ者共お語ひて具して将御せと、講師が雲く、事為るに錯て海賊の物お我れは取とも、我が物おば海賊取てむやとて、船に胡錄三腰許取り入て、墓々しき兵立たる者一人も不具で上けり、国々お通り持行くに、 程にて怪き船二三艘許後前きに出来ぬ、前お横様に渡り、亦後に有て講師が船お衛つ、此の船の内なる者共、海賊来にけりとて恐ぢ迷ふ事糸極じ、然れども講師露不動ず、然る間海賊の船一艘押寄す、漸く近く寄する程に、講師青色の織物の直垂お著て、柑子色なる紬の帽子おしての方に少し居ざり出、簾お少し巻上て海賊に向て雲く、何人の此は寄り坐るぞと、海賊の雲く、詫人の粮少し申さむが為に参たる也と、講師の雲く、此の船には粮も少し有り、軽物も人要す許の物は少々有り、何にまれ其達の御心に任す、詫人など名乗れば糸惜さに、少しおも進ま欲しけれども筑紫の人の聞て雲はむ様は、伊佐の入道は其々にて、海賊に値て被縛て、船の物皆被取にけりとこそば雲はむずらめと、然れば心とは否不進まじき也、能観既に年八十に成なむとす、此まで生たる事不思懸ぬ事也、東の度々の戦に生遁て、八十に及て其達に可被殺き報こそは有らめ、此れ兼て思つる事也、今始めて可驚き事に非ず、然れば其達疾く此の船に乗り移て、此の老法師の頸お掻切れ、此の船に侍る男共、穴賢彼の主達に手向な不為そ、今出家して後しも今更に戦お可為に非ず、此の船お疾く漕よせて、彼の主達お乗せ進れと、海賊此れお聞て伊佐の平新発意の座するにこそ有れ、疾く逃げよ己等と雲て、船お漕次て逃にけり、海賊の船は疾く構たる船なれば、鳥の飛が如くして去ぬ、其の時に講師従者共に此お見よ、己等現に我れや海賊に物被取たると雲て、平かに物共京に持上て、亦其国の講師に更に成て下ける度には、可然き人の下けるに付て、筑紫に下て道の事共お人に語ければ、極き盗人の老法師也やとぞ聞く人讃めける、伊佐の新発意と名乗らむと思ひ寄ける心は、現に伊佐の新発意にも増りたりける奴也かしと雲てぞ人咲ひける、此の講師は物雲ひ可咲き奴にてぞ有ければ、然も雲ける也となむ語り伝へたるとや、