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北条五代記

戦船お海賊といひならはす事
見しは昔、北条氏直と、里見義頼、弓矢の時節、相模安房両国の間に入海有て、舟の渡海近し、故に敵も味方も兵船おほく有て、たゝかひやん事なし、夜るになれば、或時は小船一艘二艘にてぬすみに来て、浜辺の里おさはがし、或時は五十艘三十艘渡海し、浦里お放火し、女わらはべお生捕、即刻夜中に帰海す、島崎などの在所のものは、わたくしに、くわぼくし、敵方へ貢米お運送して、半手と号し、夜お心やすく居住す、故に生捕の男女おば、是等のもの、敵方へ内通して買返す、去程に、夜に至れば、敵も味方も海賊や渡海せんと、浦里の者ふれまはつて用心おなし、海賊のさた、日夜いひやむ事なし、今は諸国おさまり、天下泰平四海遠浪の上までもおだやかにして、静なる御時代なり、然共兵船おほく江戸川につなぎおき給ふ、ある人いくさ舟の侍衆お海賊の者と雲ければ、其中に一人此言葉おとがめていはく、むかしより山賊海賊と雲ふ事、山にあつて盗おなし、舟にて盗おするものお名付けたり、文字よみもしかなり、侍たるものゝ盗おする者や有、海賊とは言語道断曲事かな、物おもしらぬ木石なりといかる、此者聞て、我文盲ゆへ、文字よみもしらず、扠て舟乗の侍の名おば何とか申べき、おしへ給へと雲時、此侍は返答につまり無言す、〈○下略〉