[p.0818][p.0819]
沙石集
九上
強盗法師之道心有事
中比南都に悪僧有けり、武勇の道おのみ好て一文不通也けるが、可然宿善や催しけん、年たけて後つく〴〵と思けるは、人の身に死といふ事有り、のがれがたき道也、惡業あれば惡道に入り、善業有れば善所に生る、其苦楽の報さだまりある事なり、我が一期の行業お思に、惡事おのみ好て、殖たる善根なし、齢すでにたけて、冥途の旅ちかづきぬ、何事おたのみてか黄泉の道の糧とせん、始、て習ひまなぶとも、仏法の理もさとりがたし、いかなるばかり事おめぐらしてか、人身の思出で、浄土の業因とせんと、人しれず思つゞけて、我強盗に交て、人お助くるはかり事おし、ひそかに念仏お申て、往生の素懐おとげんと思したヽめて、京都へ上て強盗にまじはらんと雲に、さる名人なれば左右なしとてともなひぬ、さて人のもとへ入時はさきに打入て、しばし〳〵とて、或は人おにがし物おかくさせ、うへはヽしたなく見えて、ひそかに人お助けり、かくして物わくるときは入事あらば申べし、当時は用なしとて物もとらず、友もはぢ思けり、さてひそかに念仏の功他念なかりけり、かくて年月ふるほどに、有時からめとられて、撿非違使のもとにあづけいましめらる、彼撿非違使が夢に、金色の阿弥陀の像おしばりて柱にゆい付たりと見る、驚てあやしく思て、先づ此法師、おときゆるして、御房の強盗する心はいかにと雲に、御不審にや及び候、つたなく不当にして、物のほしさにこそ仕候へといへば、たヾすぐにいはれよ、思やう有て問也といへども、たヾ同体にぞたび〳〵こたへけり、撿非違使申けるは、たヾ有のまヽにいはれよ、まこ弁にはかヽるゆめお見て侍也、御房おしばりたるが、仏とのみ夢に見ゆるぞといふ時、この法師はらはらとうちなきて、本は南都の惡僧にて侍しが、近比後世の事おそろしく覚え候て、武勇の道になれたる故に、伺くは此道お以て善根の因にせばやと思侍る、其故は京都の強盗いたづらに人お殺し、そこばくの物おかすめとり候こと不便に覚て、人の命おもたすけ、物おもすこしかくさせて、このほかは一向念仏お申さんと思立て、かヽるわざおなんつかまつるなり、この事心ばかりに思ひよりて、人にとふことなく候つるが、さては仏の御意にかなひてばし候にやと申、検非違使涙おながして随喜し、上に申てゆるしてけり、〈○下略〉