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沙石集
六上
説経師之強盗令発心事、
洛陽に説経師有けり、一説には聖学法印、一説には清水法師、某請用して布施物多くとりて夜陰に入て帰けるお、河原にて賊共あまた待かけて、有ほどの物みなとりてけり、張本の男矢うちはげて、輿の前に立て物取共のばしけるほどに、此僧思ひけるは、信心の施主三宝に供養する志お以て施物おさヽぐ、此お以て仏事にももちい、利益あらん事に用ふべきよし思に、此賊共よこさまにかすめ取る事、同じぬすみといひながら、ことに罪業おもくして、悪道に入なんとする事かなしく、哀に覚て、我が難にあへる事はわすれて、心おすましこえうちあげていはく、何ぞ電光朝露の小時の此の身のために、阿僧祇耶長時の苦因お造らんと、すめる音お以て両三返詠じけるお、心はしら子ども、なにとなく貴く覚へて、このぬす人身の毛もよだちて、矢さしはづして、これほどの難にあひ給て、何事お御心すまして、かくのどかに仰候ぞ、抑此はなにといふ心にて候ぞ、よに心肝にそみてたとく覚へ候といひければ、この僧本よりいみじき弁説の人也ければ、生死無常の道理より申立てヽ、一、期は夢まぼろしの如し、電光朝露にことならず、因果の道理遁がたく、苦楽の報おうく、三宝の物おかすめ取て妻子おやしなひ、身命おつがんとする、凡夫の習といひながらおろかなり、罪なくして世おわたるわざおほかるに、かヽる大罪お作て大地獄におちて、無量劫の苦お受けん事のかなしさに、我身の事はわすれてかく雲なりと、泣々申されければ、此賊も袖おしぼりてさりぬ、さてその次日のた方、月代有る入道、この房に来てひそかに申入けるは、夜部の強盗入道になりて参て候、夜部の御説法に発心して、同じ悪党共あまた入道に成て候とて、髻共少々持て来れり、事々しく候へば、さのみはまいまず候とて、夜部取る所の布施物みなもちて返し奉てけり、〈○下略〉