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今昔物語
二十六
観硯聖人在俗時値盗人語第十八
今昔、児共摩行し観硯聖人と雲者有き、其が若くして在俗也ける時、祖の家に有けるに、夜壺屋に盗人入ぬと人告ければ、人皆起て火お燃して、壺屋おば観硯も入て見けるに、盗人も不見え、然れば盗人も無りけりと雲て、人皆出なんと為るに、観硯吉く見れば、皮子共置たる迫に、裾濃の袴著たる男打臥たり、若し僻目にやと思て、指燭お指て寄て見れば実に有り、篩ふ事無限り、何に詫しく思ゆらんと思に、忽に道心発て、此盗の上に尻お打懸て、吉く求めよ、此方には無りけりと、高やかに盗人に知せんと思て雲に、盗人弥よ篩ふ、面る間求きたる者共も、此方にも無りけりと雲て、皆出ぬ、指燭も消ぬれば暗く成ぬ、其時に観硯密に盗人に起上て、我が脇に交て出よ、糸惜ければ逃さむと思ふぞと雲ければ、盗人和ら起上りて、観硯が脇に付て出づ、築垣の崩の方に将行て、今より此る事なせそ、糸惜ければ逃すぞと雲て押出づ、然れば逃て走り去ぬ、誰と雲事も何でかは知むと為る、其後観硯年来お経て、東国の受領に付て行ぬ、而る間要事有て京に上るに、関山の辺にして盗人に合ぬ、盗人多くして箭お射懸ければ、観硯が具したりける者共皆逃散ぬ、観硯は不被射と繁き薮に馬お押寄ける、薮の中より盗人三四人許出て、観硯が馬の口お取つ、或は鎧お抑へ、或は轡お取て、谷迫に隻追に追将行く、盗人ならば衣お剥、馬お取らんこそ例の事なるに、此く自らお追持行は、敵の殺んずる也と思ふに、観硯肝心失て、更に物不覚して、我にも非ぬ心地して行に、五六十町は山に入ぬらんと思ふ、今は可殺に此く遥に将行は、何と心も不得思ゆる、見返て恐々見れば、極き怖し気なる者、箭お差番つヽ後に立て来る、而る間既に酉時許に成ぬ、見れば山中の谷迫菴造たる所有り、糸稔(にぎ)はヽしき事無限、吉馬二三匹許繫たり、大なる釜共居並て、谷の水お懸て湯涌して共に将行たれば、年五十許なる男の怖し気なるが、水干装束して打出の大刀帯たり、郎等卅人許有、此主人と思しき男、観硯お此へ将奉れと高く雲に、何にせんずるにかと怖くして被篩る、我にも非で被引て行、菴の前に引持行て抱下し奉れと雲へば、若き男の強力気なる来て、観硯お児共など抱く様に指て下つ、被篩て否不歩ば、此の主人の男来て手お取て、菴の内に引入て装束も解せつ、十月許の事なれば、寒く御ますらんと雲て、綿厚き宿直物の衣持来て打著せたり、其時に観硯殺んずるには非ざりけり、此は何に為事ぞと思廻すに、更に不心得、見ば菴の前に郎等共居並て、俎五六許並て様々の魚鳥お造り極く経営す、此主人の男早く食物奉らせよと行へば、郎等共手毎に取て目の上に捧つヽ持来お、主人寄て取居う、黒柿の机の清気なるにつお立たり、盛立たる物共皆微妙くして其味艶す吉く極しにたれば物吉く食ふ、食畢て後、他の菴に桶共居えて、湯取せて後、主人の男来て、旅道にて久く湯浴させ不給つらん、湯浴させ給へと雲へば下て浴む、浴畢て上れば、新き帷持来て、著ぬ、其後本菴に将行たれば臥しぬ、夜暁ぬれば粥奉らせ、食物ども早くと急がして令食、午未の時許に成程に、物など食畢て後に、主人の男の雲く、今二三日も可御座れども、京に疾ぐ御まさま欲からむ、然れば今日返らせ給ひ子、心も得させ不給ば、静心も御さじと、観硯何にも宣はんにこそは随はめと答ふ、然て彼被追散たる従者共は、去て、行合て主お尋るに、観硯が馬の尻に立たりける男の雲、盗人七八人して我君おば鎧お抑へ、弓に箭お番つヽ、谷様へ将奉ぬ、敵の殺し奉つるにこそ有めれ卍雲て泣ければ、従者共京に返て家に行て、我君は関山にて盗人に被取て御ましぬ、今は死し給ぬらんと告ければ、何(いつ)しかと思て待ける妻子共、此く聞て泣喤る事無限、此て観硯おば本の馬に乗せて、人五六人許付てぞ返し遣ける、行ん道よりは不将行して、南山科になん将出たりける、其より慈徳寺の南の大門の前より、行道よりなん、粟田山へは将越て川原には出たりける、家は五条辺に有ければ、夜に入て人の居静まる程にぞ家に来て、門お叩く程に、馬に皮子二つお負せて、共に具したりけるお、門脇に二つ作ら取下して、此奉れと候つる也と雲て、取置て負せたりつる馬も、具したりつる者共もやがて返去にけり、此すれども更に心不得、而る間家より人出で、誰ぞ此く御門叩くはと問へば、我来たる也、此開よと雲へば、殿御ましにたりとて、一家喤り合て、門お開て入たれば、妻子観硯お見て喜ぶ事無限、門の脇に置たりつる皮子お、二作ら取入て開て見れば、一つには文の綾十匹、美八丈十匹畳綿百両入たり、今一つには白き六丈の紬布十段、紺の布十段入たり、底に立文有り、披て見れば、糸惡き手お以て仮名に此く書たり、一とせの壺屋の事お思し出よ、其事の于今難忘ければ、其畏お可申方の不候つる、此上らせ給ふ由お承て迎へ奉る也、其喜さは何れの世にか忘れ申さむ、其夜徒に成なましかば、今まで此て侍らましやはと、思給うれば無限なんと書たり、其時にぞ観硯被心得て肝落居ける、東よりも極く不合にて上たりければ、待受けん妻子の為にも恥かしく思けるに、此物共お得たれば喜くて、田含の物お具して上たる様に思はせて有ける、此る事こそ有しかと観硯が語りし也、不思懸物共得たる観硯也かし、然れば世の人尚人の為には吉く当り可置事也となん、語り伝へたるとや、