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窻の須佐美

御先手組与力士依田佐介といへる、少し学門の志もありけるが、賊盗改役の道も功者にて、能勤めたりけり、同士の友に語りしは、往来の道に出れば、盗賊は明らかに見ゆるもの也、悉く捕へば限りなし、困窮して盗賊おなすものお、こと〴〵く捕へば、下賤の程は尽ぬべし、下の従ふ様にありなば、刑人有べからず、故に勝れて甚しきものお捕へて、その余は事なければ見のがしにする事なりとかたりしとそ、戸塚の辺に、盗賊六十人余りありと聞へて、捕へ来るべしと、役頭向井氏命じてやられける、同心十人つれて行べしとありしかば、多き盗賊お捕るに、十人つれたるとて、事たるべきや、御威光お以て、これお制するなれば、自身一人にても事足り申候とて、例のごとく、六人つれて行、十二人捕て帰りしかば、向井氏、小勢にて多く捕へたりと賞して、褒美ものなどあたへられしに、佐介これお受けず、御威光お以て所のものに申付、捕へさせ候故、無人にてもなる事に候、大勢捕へたるとの御賞美其意お得ず候、盗賊六十人訐り有り候へ共、わざと捕へ申さず候、近年取立きびしく、剰へ賦金多く困窮におよび、やむ事お得ずして盗に及び候、村中皆捕へても止まじく候、向後盗お止べきとならば、賦金等おゆるされ、民の生業調様に仰付られば、盗は有まじく候と、細かに申ける、そのよしお若年寄本多伊予守〈忠奝〉殿へ挙せられたれば、猶の由にて、吟味の上、賦金お免許あり、て盗人おも許し帰されけり、