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遊女は、旧くうかれめ、あそびめ、又は遊君、夜発(やぼち)など雲ひ、後に女郎、おいらん等とも雲へり、即ち芸お粥ぎ、色お売るの婦女お謂ふなり、遊女の類に、白拍子、傀儡子等あり、白拍子は、其舞ふ所の伎の名に依りて名づけたるにて、傀儡子は、古語之おくヾつと雲ふ、素と傀儡即ち人形お舞はす者の謂なれど、後には其戯お為す婦女も亦、白拍子と等しく、皆客に侍し、色お粥ぐお以て業と為せり、徳川幕府時代に至りては、都会の地は、皆、遊女甚だ盛にして、其種類も亦一ならず、公娼の外、又私娼ありて、官屢〻之お禁ぜり、凡そ古代の遊女は、多く駅路、港泊等、四民輻湊の地に住して必ずしも遊廓あるにあらず、而して其著名なるものは、摂津の江口、神崎、蟹島、相模の大礒、播磨の室等なり、徳川幕府時代に至りては、幕府令して遊廓お設置せしめ、遊女おして多く此処に住居せしめたり、
男娼はかげまと雲ふ、徳川幕府の時は、男娼の茶屋ありて、遊女屋と同じく客お迎ふ、芸者は、又芸子(げいこ)と雲ひ、又躍子(おどりこ)とも称す、古の白拍子の類なり、客の需に応じて絃歌お宴席に弄せり、尚ほ白拍子、傀儡子の事は、楽舞部に散見したれば、宜しく参照すべし、