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嬉遊笑覧
九/娼妓
元文頃まで太夫有しは、三浦屋三軒と玉屋のみなり、徒流雲、元文五年頃迄、揚屋五軒あり、猶揚屋町にはなし、新町に、〈京町二丁めなれど、いつの頃よりか新町といふ、本名にはあらじ、〉海老屋治右衛門、尾張屋清十郎、橘屋五郎左衛門、若狭屋庄三郎、京町和泉屋清六、其後揚屋ども皆破壊して、尾張屋清十郎のみ揚屋町へ転宅して栄へたり、〈三浦は宝暦六年に家絶ゆ雲々〉按るに、金多里といふ細見〈宝暦の初年なるべし〉江戸町一丁め玉屋山三郎に太夫花紫これ一人、揚やは尾張屋清十郎のみなり、〈太夫も揚屋も此已後絶たり〉