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嬉遊笑覧
九/娼妓
若衆女郎、古くありしものと見えて、吾嬬物語に、まんさくまつ右衛門、兵吉、左源太、きんさく、とらの助、熊之助などいふ里名、あまたあり、是もと歌舞妓おまねびて、太夫といひしころより、佐渡島正吉などいへる太夫もありし名残とみゆ、これそれのみにもあらず、男寵の流行し故に、後までもかやうの名お付るなり、されど太夫にはあらず、みなはしかうしの内なり、勝山が奴風の行はれしも、此故なり、箕山雲、近年傾城の端女に、若衆女郎と雲あり、先年祇園の茶屋に亀といひし女、姿かたちお若衆によく似せて、酌お取たり、され共是遊女ならず、是のみにて断絶しぬ、若衆女郎の初る処は、大阪新町富士屋といふ家に、千之助とて有、此女は、初は葭原町の局にありしが、おのづから髪短く切てあらはし居たり、完文九己酉年より、本宅の局に帰りて、さかやきおすり、髪おまきあげにゆひ、衣服のすそみぢかく切、うしろ帯おかりた結にし、懐中に鼻紙たかく入て、局に著座す、よそほひかはれるしるしに、暖簾もかへよとて、廓主木村又次郎がゆるしお得て、暖簾に定紋お付たり、紺地に鹿の角お柿にて染入たり、是若衆女部の濫觴なり、見る人めづらしといひて、門前に市おなす、故にこゝかしこに一人づゝ出来るほどに、今はあまたになり、堺奈良伏見の方迄ひろまれり、是衆道にすける者おおびき入むの謂ならん歟、されども、よき女おば、若衆女郎にはしがたし、それに取合たる顔おみ立てすると見ゆ、大阪の若衆女郎は、外面よりそれとしらしむる為に、暖簾にかならず大きなる紋お染入るといへり、洛陽集、青簾あはれなるものや柿暖簾、〈有和〉