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瀬田問答
新吉原三浦屋遊女高尾(○○)六代程も続き候哉、初代よりの伝いかヾ、
答〈○瀬田貞雄〉高尾が伝は、よく原武太夫盛和委敷候ひき、伝へ請候筈にて終に不果、残念に候、浅草山谷寺町春慶院に転誉妙身と有之碑、万治二己亥年十二月五日と切て、辞世に、さむ風にもろくもくちる紅葉哉、とあり、塔の屋根 此紋切付たる四面塔の碑は、全く初代の高尾に候、是お土手の道哲にて似せ碑お造り、二代目高尾と称し、人お欺きしお不吟味にて、江戸砂子に二代目と記し候なり、