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近世奇跡考

三浦高尾考
完永二十年印本吾妻物語〈元吉原細見記〉お見るに、元吉原の時代、高尾といふ妓女四人あり、江戸町善右衛門内高尾、同町甚左衛門内高尾、京町若三郎内高尾、同町九郎右衛門内高尾、以上、みなはし女郎にて、もとより三浦の高尾にあらず、その以前高尾といふ名妓あらば、四人まではし女郎の名によぶべしともおぼえず、三浦の初代高尾は、完永の後いできたる事あきらけし、今杏園先生の高尾考にもとづき、古書お参考して年序おさだめ、好事家の考訂おまつのみ、初代高尾〈元吉原の時代、引拠なきによりて、つまびらかならず、〉
二代高尾〈数代のうちすぐれて名妓のきこえ高し、これお万治高尾といふ、貞享板江戸鹿子の説お用て、二代とさだむ、万治三年十二月廿五日死、或雲万治二年十二月五日死、〉
三代高尾〈袖かゞみに、高尾お評して、いまだ年わかとはいひながら、さきの二代高尾におとれりとある以て、三代とさだむ、袖かゞみに年号なきおもつて、時代つまびらかならずといへども、延宝四年板本しづめ石に、高尾ありて、今はとしたけ玉ひてとあれば、此高尾完文のすえお、さかりにへたるべし、天和三年の写本、紫の一もとに、高尾、小紫、今はなしとあれば、天和の頃は中絶なるべし、〉
四代高尾〈元禄四年板本、幕そろひに、高尾あり、元禄七年板本草ずり引に、いつぞや、わづらひより、ふるさとへおくりのよしと、しるしあれば、此高尾、元禄五六両年の間に、出廓せしなるべし、〉
五代高尾〈元禄十二年春出廓のよし、元正間記にみえたり、○自六代至十一代略〉