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兎園小説

遊女高尾
著作堂の珍蔵に、美地乃久草紙といふ有り、それは陸奥の大守の医師工藤平助が女の、同藩隻野氏に嫁して、仙台に在が筆記なり、その中に高尾が事跡おしるしたり、世の妄説お正すに足れり、曰、昔の国主、高尾といふ遊女お黄金にかへて、くるわお出し給ひて、御たちまでもめし入られず、中す川〈○註略〉にて切はふらせたまふと、世の人思へるはあらぬことなり、是はうた上るりにおもしろく事添て作りなどして、やがて誠のごとくなりしものなり、高尾はやはり御たちにめしつかはれてのち老女と成て、老後跡おたて給はりしは、番士杉原重太夫又新太夫と、代々かはるかはる名のりて、〈禄玄米六百石〉今目付役おつとむる重太夫はその末なり、隻野家近親なるゆえ、ことのよしはしれり、杉原家にても世人あらぬことお、まことしやかに、となふるはおかしと思ふべけれど、我こぞ高尾が末なりと名のらんにも、おもたゞしからねば、おしだまりて聞ながしおるとなり、これおいと珍らしき事とおもひて、うつしおきけるに、この比ある人のもとより、その法号葬地等お書付、おこせたれば、著作堂の主にしめさんとてこゝにのす、その記に曰、仙台の人なにがし、遊女高尾が墓碑お摺りてもちたるお、四谷にすめる医生浅井春昌といふものゝ、うつしたりとて、島田某の見せたるおしるす、
二代目
三巴の紋 〈享保元丙申年〉浄林院妙讚日晴大姉〈十一月廿五日〉
于時正徳五年二月二十九日 〈逆修〉 〈椙原常之助〉源範清義母〈行年七十七歳〉
右の碑、仙台荒町法竜山仏眼寺に在、仙台の人のいふ、高尾実は国侯に従ひて奥州にいたる、杉原常之助といふは、義子にて名跡おたて給ひたるにいひ伝ふ、享保元年七十八歳にて天寿お終るといふ、
綱宗朝臣は、正徳元年六月四日卒去、享年七十六歳、仙台瑞鳳寺に葬す、法号雄山全緘見性院といふ、