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雲萍雑志

島原の難波や与左衛門といへる遊女屋に、浜荻(○○)といふ太夫めり、もとは播州高砂の商家、総七といふものゝ娘にて、人の家に嫁しけるが、その家衰微に及びて、夫に捨られ、親のもとにかへりけれども、親の家もまたおとろへて、父母お養はんが為めに、与左衛門が方に身おうりて、遊女とはなりしなり、その頃与左衛門は、江戸の廓へ移りける時にあたりて、よき遊女おつれ行かんと、十一人の遊女おえらみける中に、ことに浜荻は、その志し尋常ならず、風雅の道にもうとからざれば、わけてあはれみおかけ、江戸に下るにのぞみて、浜荻は与左衛門に、わが父母もろともに、江戸へくだりたきよしの願お申しけるに、許されざりければ、客にかたらひ、事のよしお歎きけるに、其客豪富のあき人にて、彼が孝心お感じ、いとやすき望みかなとて、路資おあたへて、あるじ与左衛門に頼みけるに、費おいとへばこそ、かれが願ひも聞ざりしなりとて、こともなげに承引たれば、浜荻はふたおやおも伴ひつゝ下りけり、浜荻勤めの中おこたりなければ、他の遊女もこ、れにならひて、その家繁栄し、主人も亦数多の益お得たれば、高砂といへる茶店おしつらひ、浜荻が親達につかはしたり、かの浜荻はたしなみよくて、身おつゝしみ、明くれに父母おかへり見て、勤めながら日々に親のもとへ行かよひけり、かゝれば廓の中にても、誰れか賞誉せざるものなからんや、その頃浜荻が発句に、
うき人に手のはづかしき火鉢かな、後にめる貴人に根曳せられて、出雲の国にいたり、親子三人にて、めでたき暮しとなれるも、孝の恵みなるべし、そのころ行儀難波とで、その名お伝へたり、