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賤者考
此情お粥ぐ女、昔の種類は、いかにわかれたるか委しくは知りがたし、船はつる湊やうの所々には、遊女、〈今芸妓にあたるもの〉傾城〈今女郎にあたるもの〉共にあり、もし又一方のみありける所もあるべし、〈○中略〉さて又湊ならぬ所も、繁花の地にはありけむことは、都は勿論奈良の木辻、近江の鏡、参河の矢矧、美濃野上、赤坂、鎌倉に大磯、化粧坂、喜瀬川、手越などなり、近江の朝妻、尾張の井戸田、遠江の池田などは、なほ船はつる方によりたるなるべし、海辺にては津の国の江口、神崎、蟹島、堺の乳守、播磨の室津、周防の室積、和泉の高淵、越前の三国、備後の尾道、其外古く名にきこえたる所枚挙しがたし、