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法然上人行状画図
三十四
同国〈○播磨〉室の泊につき給に、小船一艘ちかづきたる、これ遊女がふねなりけり、遊女申さく、上人の御船のよしうけたまはりて推参し侍なり、世おわたる道まち〳〵なり、いかなるつみありてか、かゝる身となり侍らん、この罪業おもき身、いかにしてか、のちの世たすかり候べきと申ければ、上人あはれみての給はく、げにもさやうにて世おわたり給らん、罪障まことにかろからざれば、酬報またはかりがたし、もしかゝらずして、世おわたり給ぬべきはかりごとあらば、すみやかにそのわざおすて給べし、もし余のはかりごともなく、又身命おかへりみざるほどの道心、いまだおこりたまはずば、たゞそのまゝにてもはら念仏すべし、弥陀如来は、さやうなる罪人のためにこそ、弘誓おもたてたまへる事にて侍れ、たゞふかく本願おたのみて、あへて卑下する事なかれ、本願お憑て念仏せば、往生うたがひあるまじきよし、ねんごろにおしへ給ければ、遊女随喜の涙おながしけり、のちに上人の給けるは、この遊女信心堅固なり、さだめて往生おとぐべしと、帰洛のときこゝにてだづね給ければ、上人の御教訓おうけたまはりてのちは、このあたりちかき山里にすみて、一すぢに念仏し侍しが、いくほどなくて、臨終正念にして、往生おとげ侍きと、人申ければ、しつらん〳〵とぞおほせられける、