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洞房語園異本考異

往古廓の一け所にならざる以前、慶長年中までは、傾城屋二三軒づゝ、処々に分散して有けるが、そが中に軒並に集居たる場所三け所、 麹町八丁目辺十五軒 鎌倉河岸辺同断 大橋の内柳町廿軒
如此にて有し、後茅町へ一統に集る、その後又処々に風呂屋といふ物出来り、分て神田丹後殿前、木挽町などは、殊の外賑ひけるとぞ、近世いへる岡場所の類也、