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慶長見聞集

よし原に傾城町立る事
見しは今、江戸繁昌故、日本国の人集り家作りなすによつて、三里四方は野も山も家お作り寸土のあきまなし、然るに東南の海きわによし原有、色このみする京田舎の者ども、此よし原お見立、けいせい町おたてんと、よしの苅跡、援やかしこに家作りたりしは、たゞかにの身のほどに穴おほりすみ居たるが如し、〈○中略〉日お追月お重ぬるに随て、此町繁昌する故、草のかり屋お破り、西より東、北より南へ町わりおなす、先本町と号し、京町、江戸町、伏見町、堺、大坂町、墨町、新町と名付、家居びゞしく軒おならべ、板ぶきに作りたり、扠又此町お中に籠て、其めぐりにあげや町と号し、幾筋とも数しらず横町おわり、のうかぶきのぶたいお立おき、毎日舞楽おなして是お見する、此外勧進舞、蛛舞、獅子舞、すまふ、じやうるり、いろ〳〵様々のあそびしてぞ興じける、これらの見物おかごとになし、僧俗老若貴賤、此町に来りくんじゆす、ちからおもいれずして、人おまどはすけいせいのはかり事、思の外也、