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皇都午睡
三編中
吉原は、女郎が千人、客一万人と積りし所のよし、さすれば女郎に客十人なれど、今は中々五人づゝにも当るべからず、されどそふ絶ず来る客もあらず、又廓中五丁町といへ共、御府内割なれば、七八丁は丈夫に有り、矢張通り筋は三筋に分り、中央大門口の通りお、中の丁とて往来広く、両側皆茶屋計り也、格子なく、上店(あげみせ)おおろし、絵筵敷物敷詰、二階表座敷高欄手摺付にて、往来お見おろし、下より広き段梯子おかけ、大体茶屋は間口二間半三間なり、中の丁突当りに秋葉常灯明の高灯籠あり、是より左右へ道あり、両方の筋へ行く、大門口お入て、横筋へ入ば皆女郎屋なり、江戸丁一丁目、二丁目、京町すみ丁、揚屋町等也、是も広き筋にて、大道まん中に溝あり、此上へ見事なる用水桶覆に女郎屋の名お印して、是お天水桶と雲ふ、店付(みせつき)女郎お見るには、右側先にとか、左側お先にか見廻る也中の町の左右の筋お西河岸又伏見丁とて、是は安女郎屋町なり、是は双方とも、内側計り家並び外側は高塀、此外は大溝にて廓外なり、口は大門口一方よりなし、霜月酉の待には、西河岸の方少しき門おひらき、はね橋かゝりて往来お免す、是も此日計りにて、女郎に欠落等おさせぬ仕方なり、 郎の高下お論ぜず、近所遊びにも出る事あたはず、年中部屋か店の間よう他行ならず、翅あらばしらず、大門口より外出る事なく、籠の鳥かや恨めしきとは、是お雲なりとぞ、