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嬉遊笑覧
九/娼妓
処々の新地のこと、居行子後篇、安永五年刻、愚も七八歳のころ、祇園新地もいまだ建そろはで、そこかしこ草生じけり、薄と家と入まじり、まばらなりしお覚侍る、その辺今は大やしき売買には、千両二千両の価となる、北野の新地も五十年ばかりのむかしは、三番町五ばん町と段々に開け、はん昌なりしが、移りかはり、此近年はさびしく成たり、むかしの景清ほどの武士の通ひしときく五条坂も、今は一二軒そのしるしのみ残れり、田畠野原なりし七条新地は、五条より建つゞき甚にぎはし、二条新地も、川ばたの茶やは、むかし若狭街道の茶店の株にて、それよりのみ酒にうつり、色にうつり、こそ〳〵したる処なりしが、段力とはん昌し、次第に建つゞき、野中にありし非人小屋、今は新地と町つゞきに成たり、頂妙寺新地も、二条新地と町つゞきになる、今出川新地も、その前後のころより建しが、今はいかう閑(さび)たり雲々、