[p.0883][p.0884]
岩淵夜話

権現様駿府へ御隠居被遊候以後、安倍川の傾城町抔近く候お以、御旗本の若き衆中、遊女町通ひお被致候との取沙汰有之、駿府の町奉行彦坂九兵衛、阿部川町お、二三里計も遠き場所へ移し申度と、相窺れ候処に、御聞あそばされ、九兵衛お御前へ被為召、御意被遊候は、当所町人共お二三里も隔りたる処へ遣し候ては、如何可有之哉と御尋に付、九兵衛被承、左様御座候はゞ、商買の障りと罷成、町人共いづれも迷惑可仕と被申上候へば、上意被遊候は、其方義は阿部川町お二三里も遠き処へ引移し、可然と申候由御聞被遊候、阿部川に罷有る遊女共は、売物にてはなく候や、売物とあるは諸色一様の事なるに、左様に遠き所へ遣し候ては、阿部川町のもの共は渡世のいたし方も無之筈の儀也、唯今迄の処に、其儘差置候やふにと被仰付と也、其後は阿部川町の繁昌日頃に倍し、御旗本中勝手衰微の族多出来之由、風聞有之候となり、其秋に至り、九兵衛お被為召、此間は町方にて躍お仕る声、御城内へも相聞へ候、御覧被遊度おぼしめされ候間、帯手拭やうのもの迄も、新に支度致に不及、有合の衣服にて、御城内へおどりお入させ候檬にと被仰出候に付、駿河総町お三つ、に割、支度お調、御城内へ躍お差上候処に、おどり子はやし方の者に至迄、握り赤飯御酒など迄被下置、三け夜の躍相済候已後、九兵衛お被為召、阿部川町のおどりはいかが致候哉と御尋に付、阿部川町は、遊女町の義に候お以、差除き不申付由被申上候へば、御聞被遊、御年寄られ候ては、女子共のおどりこそ御覧被成度思召候得、木男計のおどりは、さのみ面白くおぼしめされざるとの仰に付、夫より俄に阿部川町〈江〉も躍お差上候様にと有之、阿部川町中一組の大おどりお用意仕り、来る幾日の夜と相定りたる処に、総遊女共の中にて、其比人々もてはやし候名有女共の義は、其名お書付指上候様にと有之、其夜のおどりの中休みの節に至り、右の書付に乗たる遊女どもの義は、御板椽の上へあげ置申様にと有之、壱人づヽ御前へ被召呼、銘々の名迄おも、御直に御尋あそばされ罷立帰候節、御次の間にて、へぎに乗たる御菓子取頂戴致させし迚福阿弥小声に成り、此已後若し御人指にて被召呼候義なども有べき間、左様相心得罷在候様にと、銘々〈江〉申聞候と也、此取沙汰かくれなく聞候に付、右御前へ罷出候遊女共の義は、いづれが御目にとまり、不図可被召呼も難計、左様の節御尋に付ては、何事おか可申との気遣お以、歷歷方の阿部川通ひはひしと相止候と也、