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異本洞房語園

或時町御奉行島田弾正様、甚右衛門へ御尋には、総て遊女どもの事お、轡といふは、如何なる子細ぞと御たづねありし、甚右衛門申上るやう、傾城屋お轡と申事は、京六条の三筋町より申出候言葉にて御座候、原三郎左衛門と申者、大坂太閤様の御時、御厩付の奉公仕りし者にて候処、病身に罷成候間、浪人いたし、後に六条の遊女町お取立申候へども、彼三郎左衛門義は、太閤様御出馬の節は、度々御馬の轡お取候者にて候、依之其砌此子細お被存候人々は、三郎左衛門異名お轡と申候、然る間、其頃京都伏見などの若き侍衆中は、傾城町へゆかんといふ替ことばに、轡がもとへゆかふと被申しより、いつとなく、傾城屋の総名の様になり候と承候と申上る、