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異本洞房語園

やりて、ぎう出所、是は以前の風呂屋より、いひ出したる言葉也、承応の頃、葺屋町に和泉風呂の弥兵衛といふものあり、彼が家に久助とて、年久しく召仕ひし男ありて、風呂屋遊女おまはし、客お扱ひしが、生得せむしにて、せいちいさき男也、たばこお好きのみしが、他人のきせると紛れぬやうにとて、紫竹のふときお、長一尺八寸計りにきり、吸口火皿おつけ、常にはなさず腰にさして居たり、彼の風呂屋の家作りは、今の吉原の散茶のかゝりと同じことにて、見せの庭の隅に畳小半畳計りの腰かけ有り、此こし懸にせむしの久助が、長ききせるおさしてなおり居たる形、せむしの小男なれば、及(きう)の字の形に似たりとて、其頃若きもの共の、久助が異名おぎうと名付、彼風呂屋が方へ、ゆかふといふべきお、ぎうが所へゆかふ、などゝいひふれしより、いつともなく総て風呂屋の男共の総異名となりたり、