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澪標
禿由緒
当津〈○大阪〉の禿は都島原のとは少しの訳ちがひあり、往昔平相国清盛六波羅に在住のとき、拵へたまふ三百人、禿の余風にて、いにしへは禿ども甚権式高かりしに、今は昔などの威勢はなけれども、其余風故、揚屋茶屋より呼むかへに来る呼立女に、おうおうと答る也、これ古代の権の残りし所也といひつとふ、すべて何国とても新艘の女郎は、此内より段々太夫職までにすゝむもの也、新艘出る時の嘉例は、廓に格式ありていはふ事也、