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嬉遊笑覧
九/娼妓
後世繁華おとろへたりといへども、享保五年の丸鑑に、散茶女郎ばかり二千人に近しとあれば、其他準へて知るべし、天明六年遊女禿すべて二千二百七十余人、享和の初、三千三百十七人文政八年、三千六百人、〈此時男芸者二十人、女げいしや百六十人ばかりなり、〉
諸芸太平記〈元禄十四年〉女郎の総数は京大阪お一つにからげても、中々行とゞくことにあらず、太夫はやう〳〵四人、格子八十六人、散茶五百一人、うめ茶〈或ひはくみ茶と雲ふ〉二百八十人、五寸四百卅人、三寸六十三人、四寸二寸はまれに出る故、数すくなし、なみ局五百人余、あげや十四軒、茶屋五十二軒、