[p.0901]
洞房語園
異本補遺
慶長年中迄は、傾城の町売とて、先様より雇ひ来れば、何方までも遣しけれども、元和年中に、傾城町一け所に仰付られ候より、町売停止也、然れ共、神社仏閣などへ参詣の事は、自由に致させたれば、物参りにかこつけて、知音の方へ立寄り、馳走にあひしこと略有し故、町売に紛敷見へければ、名主甚右衛門此事お御届け申あげて、完永十八年の頃より、故なくして大門より外へ、むざと傾城共お出さず、京都の島原は、御構ひこれなし、町売致しけるが、是も完永十七年辰の秋中、町売御停止、同時商売のこと昼計被仰付候、