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花街漫錄

同〈○薄雲〉身請証文
証文之事 大文字楼蔵
一其方抱之薄雲と申けいせい、未年季之内に御座候へ共、我等妻に致度、色々申候所に無相違妻被下、其上衣類夜著蒲団手道具長持迄相添被下忝存候、則為樽代金子三百五拾両、其方へ進申候、自今已後、御公儀様より、御法度被為仰付候、江戸御町中ばいた遊女出合御座鋪者不及申に、道中茶屋はたごや左様成遊女がましき所に指置申間敷候、若左様之遊女所と指置申候と申もの御座候ば、御公儀様〈江〉被上仰、如何様にも御懸り可被成候、其時一言之義申間敷候、右之薄雲、若離別致候はゞ、金子百両に家屋鋪相添、隙出し可申候、為後日仍証文如件、
元禄十三年辰の七月三日 貰主 源 六印
四郎左衛門殿 請人 平右衛門印 同 半 四 郎印
遊女の身請といへる事、元よし原より起りて、今に年々絶ざるは、この大江戸のいやさかえにさかゆるありがたきしるしなるべし、またこゝにあらはせるは、三浦や四郎左衛門が抱薄雲が身請証文なり、その頃揚や町和泉や半四郎〈揚やなり〉がもとにて遊びける、市町の人たれとかいへる住所はしらねど、むかしかたぎなる人とみえて、文言などめでたきかきざま也けり、いまはみな人ごとに心もさかしければ、中々に加様の文体はえもかゝざる事なれど、請出すほどの身がらなれば、行末こしかたおもおもひやりて、かくありたきものになん、