[p.0920][p.0921]
嬉遊笑覧
九/娼妓
かげまは、京師にては宮川町、大坂は道頓堀、其外にも有べし、人倫訓蒙図彙に、狂き役者男子お、遊女屋の女おかゝゆるごとくにかゝへ置て、芸おしいれ、十四五になれば、それ〳〵に色づくり芝居へ出し、芸よく名おとれば、我門口に、大筆にて誰がやどゝ名字おしるし、夜は戸口に、掛灯台に名お書付おくなり、いまだ舞台へ出ぬはかげまといふ、他国おめぐるお飛子といふ、野郎かげまともに看板お出す、雨夜一杯機嫌、〈元禄六年〉陰間看板界町媚雲々、浅草神明増威勢、目黒目白仰悲憐とあれば、其あたりにもかげま有しなるべし、洛陽集、顔みせや十有五にして楽屋入、〈千之〉顔みせやういかうぶりして影間共、〈秋風〉賢女心化粧、今時男子お野郎屋の新部子に売雲々、歌舞妓事始に、新部子といふは、幼少にて芸の至らざるおいふとあり、へこは薩州の方言なり、其国にへこ侍といふものあり、みな知音お求めて義兄弟となるよしなり、軽き小者ながら義勇お宗とすとなむ、其さまも古風お守りて、寒中も短衣一つ著、細き帯おすると聞り、今江戸の俗に、へこたれと雲ふは、へこたふれの訛りなり、季吟独吟百韻、やせ馬おひのあやな腕だて、おもき木おおほはら山にへこたふれ、へつほこ侍といふは、このやうの賤きさまおいふにや、風流徒然草に、野郎かげ問いづれも大きなるよし、ぬれは曾我、小栗、あいご、武道はしだ、哀なるはしんとく、すみだ川、女郎の名など付たるお、めづらしくありがたがるは、やぼのもて興ずる物なり、西鶴置土産に、花山藤之助、松風琴之丞、雪山松之助といへる陰子の名あり、一代男、やらうもてあそびは、散かかる花のもとに、狼のねて居るが如し、けいせいになじむは、入かゝる月の前に、ちやうちんのない心ぞかしとなむ、いづくへも招く処に行たるものなり、江戸には法度ありしかど止ざりければ、また宝永六年丑七月、狂言芝居野郎、並狂言に不出前髪有之者、外へ堅くつかはす間敷旨、前々より令停止候処、頃日右の族、方々へ参、芸致候由相聞不届候、向後木挽町さかひ町野郎子供不申及、役者共、又は白人にて芸いたし候者、一切外へ参間敷候雲々、〈○中略〉頓作江戸雀、〈師宣が画入、元禄の初なるべし、〉難波町辺に、ことのほかはやりけるかげま有けりと書り、是は堀江六軒町〈今いふ芳町〉にはあるべからず、佳吉町、高砂町、或は難波町裏河岸の内なるべし、