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塵塚談

男色楼(かげまじやや)、芳町お第一として、木挽町、湯島天神、糀町天神、塗師町代地、神田花房町、芝神明前、此七け所、二三十年已前まで楼ありけり、近歳は四け所絶て芳町、湯島神明前のみ残れり、三四十年已前は、芳町に百人余も有りけるよし、此内より芝居へ出て歌舞するお舞台子といひ、又色子とも称して、四五十人もあり、此色子ども、末々は皆役者になれり、女形は多分此者どもより出来て、上手といふ地位にいたりしも多く有けるよしなり、古評判記お見て知るべし、既に当時の尾上松縁は、舞台子にて有しなり、近歳舞台子絶てなし、然る故に江戸に女形の種なし、江戸役者の女形は有やなしやにして、女形は皆上方役者のみになれり、此節衒艶(かげま)郎芳町に十四五人、湯島にも十人計も有よしお聞り、宝暦の比と違ひ、減少せし事にて、男色衰へたると見へたり、