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宇治拾遺物語

これも今はむかし、京極の源大納言雅俊といふ人おはしけり、仏事おせられけるに、仏前にて、僧に鐘おうたせて、一生不犯なるおえらびて、講お行なはれけるに、ある僧の礼盤にのぼりて、すこしかほ気しきたがひたるやうに成て、鐘木おとりてふりまはして、うちもやらで、しばしばかりありければ、大納言、いかにと思はれけるほどに、やゝひさしく物もいはでありければ、人どもおぼつかなく思けるほどに、この僧わなゝきたるこえにて、かはつるみ(○○○○○)はいかゞ候べきといひたるに、諸人おとがひおはなちてわらひたるに、一人の侍ありて、かはつるみは、いくつばかりにてさぶらひしぞと問だるに、この僧くびおひねりて、きと夜部もしてさぶらひきといふに、大かたどよみあへり、そのまぎれにはやうにげにけりとぞ、