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岩津々志
岩つゝじ叙
うましおとめおよろこぶは、女神男神の神代より、人の心のまさにしるべきことはりなるお、うまし男おしも、女ならでさるすける物おもひの花に酔るは、あやしくことなるに似たるわざながら、その妹脊の山は、仏のいましめさせ給へる所なれば、さすがに岩木にしあらぬ心のやるかたにて、法の師のわけ入初にし道なるお、つくばねの峯のしたに流れ落ては、みなの川の淵となれるものゝごとく、末の世にはかへりて女男の情よりも、猶そこひなきごとくなりて、上達部うへ人などはさらにもいはず、たけきものゝふの心おもなやまし、爪木おこる山賤もなお此若木の陰に立よらずといふことなくぞなりにたる、しかれど、是おやまとうたによみ出たることはさまで多からず、まづ古今和歌集のなかには、高野大師の御弟子真雅僧都のときはの山のひと歌あり、これや、かの色好みの家の風おつたへ、花薄ほに顕れてまめなる人にもかたり伝ふるごとく成けらし、其外にも代々の撰集にのせられし言の葉、拾遺集より新古今までは、わづかにちりまじりにたれど、そのゝち十三代集の中には、つや〳〵見出るふしも侍らず、もしやありもやすらん、わが見るところのくはしからぬにや侍りけん、〈○中略〉 北村季吟書之