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増鏡
十三/秋の深山
右大臣殿の御父君前関白殿家平、御なやみおもくなり給ひて、御ぐしおろす、〈○中略〉中比よりは男おのみかたはらにふせ給ひて、法師の児のやうにかたらひ給ひつゝ、ひとわたりつゝいとはなやかにときめかし給ふ事けしからざりき、左兵衛督忠朝といふ人も、かぎりなく御おぼえにて、七八年が程いとめでたかりし、時すぎてそのゝちは、成定といふ諸大夫いみじかりき、このごろは又隠岐守頼基といふも童なりしほどよりいたくまどはし給ひて、きのふけふまでの御めしうどなれば、御ぐしおろすにも、やがて御供つかうまつりけり、病おもらせ給ふ程も夜昼御かたはらはなたずつかはせ給ふ、すでにかぎりになり給へるとき、この入道も御うしろにさぶらふによりかゝりながら、きと御らんじかへして、あはれもろともにいでゆく道ならば、うれしかりなむとのたまひもはてのに、御いきとまりぬ、右大臣殿も御前にさぶらはせ給ふ、かくいみじき御気色にてはて給ひぬるお、心うしとおぼされけり、さてそのゝちかの頼基入道もやみつきて、あと枕もしらずまどひながら、つねは人にかしこまるけしきにて、衣ひきかけなどしつゝ、やがてまいり侍る〳〵と、ひとりごちつゝ、程なくうせぬ、