[p.0930][p.0931][p.0932]
嬉遊笑覧
九/娼妓
小草履取といふものあり、昔々物語に、むかしは小草履取といふもの、十五六歳の随分とうつくしき目子、草履取にして、下には絹の小袖、上に唐木綿の袷お著せ、伊達なる帯おさせ、夏は浴衣染などきせ、脇差随分結構に拵へてさゝせ、客へ馳走に給仕にも出し、供にも連る、但供には道のあしきにつれず、雨天につれず、天気晴過たる暑気に不連、跡より、中間に笠おもたせて連る、足袋おはかせ、かたのごとく和らかに拵へて連る、さたの限り、不自由なるものなり、此小草履取に付、度々喧嘩口論あり、主人随分器量ある人ならねば、小草履取持ことならず、慶安の頃、世上にすきと相止、其後完文の頃、一盛り流行、援かしこに有りしが、是又むづかしく、口論出来て、また止む、近年すきと相止たりとみゆ、
又香具お商ふ者あり、卜養狂歌集、ある人のもとへ行けるに、わかきかうぐや参り、色々のかうぐ出しけるに、焼(たき)ものに、仙人黒方若草といふ雲々、少人のかほよきお愛して雲々、一代男、十五六なる少人、かのこじゆすのうしろ帯、中脇差、印らう、巾著もしほらしく、たかさきたび筒短に、かずせつたおはき、髪つとづくなに、まげお大きに高くゆはせて、続きて桐の挟箱のうへに、小帳そろばんおかさね、利口さうなる男の行は、是なむかうぐ売と申、宿元お聞ば、芝神明の前、花の露屋の五郎吉おやかた十左衛門とぞ申ける、かれらも品こそかはれ、かげらうと同じ小草り取のはなすぢけだかきお、かやうにしたて、屋敷がた一年替り、長屋住ひの人おだます物ぞかし、さて其ざうり取はとたづねければ、是にはそれ〳〵にねんぢやありて、とりなりきるものおも、かうりよくして頼もしき事あり、つとめも、旦那ばかりにはゆるして、外はかたくせいとうして、其屋形にも出入して、月に四五度は、我ものにつれてかへる事ぞかし、近年多くすたりて、〈延宝の頃おいふか、昔々物語に合へり、〉このかたは寺かたにかゝへ侍る、〈○中略〉
慶安五年壬辰四月七日、町触、一町人之草履取六尺小者、或は知音致し、或は兄弟親類之契約致、ざうり取引廻し奉公に出し候事、可為無用、此旨於相背者、急度曲事可申付事、一六尺小者私に草履取お抱、人主に成り、奉公に出候事、是又令停止候間、親子兄弟親類の外、人主に成、奉公に出候はゞ、其草り取は身之儘に致し、人主に成候六尺小者、穿鑿之上急度曲事可申付事、
後年宝永ごろには、渡り小性とて、大名旗本にて、美童お抱へし事なり、耳袋に、或老人八十余にて、予がもとへ来り咄しける、我も壮年の頃は、渡小性いたし、今の主人家譜代にも無之、若き時は美少年なりしといへり、紅顔美少年、半死白頭翁お思ひ出して、おかしと有り、