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盲人は、先天と疾病との二種ありて、古は全く之お廃人卜為して、何等の職業おも為す所なかりしが、中古以来、音曲、按摩等お以て、此輩の職業に適すと為し、専ら之お修めしむることと為り、之お座頭と雲へり、座頭の祖先にして、其伝の明なるものは、性仏にして、此者始て平家お禁中に語りき、次に城一と雲ふものありて、之お襲ぎ、其両弟子、両派に分れ、一人は其名に一の字お用い、一人は城の字お用いる、其流派相承けて、遂に多くの流派と為れり、後世仁明天皇の皇子雨夜の尊と雲ふお以て、座頭の祖神として祀る、蓋し座頭等其道お重くせむが為の謀に外ならずと雲ふ、
徳川幕府時代に至りては、幕府大に盲人お保護し、随て其制度も亦甚だ整へり、即ち座頭の等級お分ちて数十階と為し、極位お検校、総錄などヽ称し、之おして座中一切の事お支配せしむ、而して位次昇進の事は、夙に久我家の掌る所なりき、盲人は斯の如く優遇せられたるお以て、為に驕奢に流れ、且つ高利の貸金お為す事お許されたれば、之お以て良民お苦むるものも亦甚だ鮮からざりき、又盲僧と称するものあり、多くは僧形の盲人にして、其職業略、座頭に類す、徳川幕府の時、其士分以上の者は、青蓮院宮の支配お受け、士分以下の者は、座頭と同じく検挍の支配に属せしめたり、尚ほ盲人の事は、政治部、貸借篇、及び同戸籍篇残疾篤疾条等に在り、宜しく参照すべし、又本篇の材料は、盲人の手に依りて成るもの多く、往々妄誕不稽の事ありと雖も、既に久しく此お以て世に許されたるものなれば、姑く之お引用せり、